15.地下で笑う悪たち
「さっきのなんだったんだろねー。なんか、東悟くんが凄く見えたんだよねぇ」
野間さん・青木さんとは学校で何度もしゃべっている。同じクラスだから日々の授業も一緒だし、体育の授業だって一緒にやることもある。
それなのに。
「俺は何も凄くなんかないよ。暑すぎて幻覚でも見たんじゃない? ねえ青木さん?」
「……でもさ、わたしも見たんだよね……杵築くんが、いつもの杵築くんじゃない感じ……これが美優季だけなら幻覚説で確定なんだけど」
「碧? それってあたしが碧よりボケてるってこと?」
「違うわよ。美優季の方が感受性が強いってこと」
「あっ、そゆことね♪ それならいいや」
「はっはっは! 男子三日会わざれば――とは言うけどさ、俺はこの夏ダラダラしてただけだから、夏休み前となんにも変わってないと思うぜ?」
それなのに、この二人と並んで歩くのは本当に初めてだった。
俺を中央にして右手側に野間さん、左手側に青木さん。
さっきあんまりにも二人を困惑させてしまったようだから、俺は今、『素の俺』を引っ込めて『学校での目立たない俺』を見せている。
「にしても、旧市街の廃ビルねぇ……そこに二人の友達がいるんだ?」
「そう聞いてるわね。どうしても今日応援に来て欲しいって頼み込まれちゃって、バカ美優季が適当にオッケーしちゃったのよ」
「学外の悪いお友達かい?」
「ま、世間的にはね」
「東悟くんも話してみればいいよ。犬浦は全然悪い感じしないから。ほんとにただ暑苦しい感じの男の子で、なんてゆーのかな、ちょっと少年漫画の主人公みたいな感じ?」
「熱血漢ってこと?」
「あー、そうそう。熱血漢。そんな感じ」
「熱血漢が女子二人を廃ビルに呼び出し、ねぇ。何が起きてんだか」
俺たち三人が歩くのは、西府中市の旧市街に続く道路の歩道だ。
とはいえ…………単なる偶然か、誰かの陰謀か、不気味なほど車道に車がいない。
いくら猛暑の昼下がりとはいえ、こんなにも車が途絶えるタイミングというものが存在するのだろうか。
歩道の方にも人気はなく。
「そいや東悟くんは宿題終わったー?」
「まあ、大体はね。夏休み入る前から少し手を付けてたし」
「いいなー。あたしは読書感想文がまだなんだー。一番苦手なのよねー読書感想文。本なんてあんまり読まないし、たまに読んだって、面白かったーか、つまんなーいのどっちかしか感情出てこないじゃん? それを二千字に膨らませろとか、マジ訳わかんないんだけど」
俺たち三人が明るく話していなければ、太陽がアスファルトをじりじり焼く音すら聞こえそうなぐらいの静寂だった。
これならば失踪した野間さんと青木さんの足取りが追えないのも当たり前だと思った。
「東悟くんにお勧めアニメ聞いて、それで感想文を書けって言われた方がまだ楽しそう」
「バカなこと言ってないでいいかげん課題図書読みなさいよ。今年の奴、普通に青春小説だったし、ちゃんと面白かったって」
「活字やだー。アニメの方が全然面白いー」
それで俺は……心細かったろうな……と、一度目の人生で惨殺された野間さんと青木さんのことを思って心底申し訳なくなる。
俺が同行しなかったあと、野間さんと青木さんはこんな奇奇怪怪な道を二人だけで歩いていたのだ。もしかしたら今みたいな明るい会話は何一つなかったかもしれない。
「ね。今って夏アニメの最終回の時期でしょ? 東悟くんがあたしにイチ押しできるような奴ってあった?」
「そうだなぁ。魔法少女モノだけど、最初から最後まで作画凄くてぬるぬる動く奴は、確定で名作だったよ」
「ぬるぬる? 魔法少女でぬるぬるってなんかエッチじゃない!?」
「ぬるぬるって言っても、そういうんじゃないからね」
「じゃないかー。んじゃあ一応タイトル教えてよ。多分チェックしとくから」
「その言い方は絶対見ないでしょ」
「駄目よ杵築くん。いい男が出てくる奴じゃないと、こいつ見ないわよ」
「そだよ♪ 今日の東悟くんみたいな、優しくて頼れる男子が活躍するアニメってないの?」
この暑さなのに――野間さんがいきなり俺の右腕に身体を寄せてきた。
……胸……。
半袖カッターシャツ越しの柔らかさを確かに感じ、俺は困った苦笑を浮かべるしかない。
人生経験で会話の方はどうにかなるが、童貞にボディタッチは難敵だ。対応に戸惑ってしまった。
「あっは♪ ドキッてしてくれた?」
「純朴少年なんだ。あんまりからかわないでくれよ」
「ていうか、やっぱすっごい腕だね。ほんとに帰宅部?」
「帰宅部さ。ただの、ね」
俺がそう笑った次の瞬間、左側の青木さんも俺に寄り掛かってくる。肩で腕にポンと当たってきた。
当然、俺は揺らぐことなく……青木さん、想像よりも少し軽いな……そう思う。
「これで体育の成績が六とかマジで言ってるの?」
「身体の見た目と運動能力は、そのままリンクはしないんだぜ?」
「……それと杵築くんが優しいからでしょ。体育の授業で男子がサッカーやってるの見たことあるけど、相手に怪我させないようにタックル封印してなかった?」
「そんな。普通にビビってただけだよ。球技はことさら苦手なんだ」
我が校の二大美少女とまるでデートのような時間。
しかし、車通りの途絶えた道路を進んで旧市街に入ったのに、ここでも道に人気はなかった。時折、先の十字路を横切る車や人は見えたが、とにかく誰とも擦れ違わない。
妙な巡り合わせがここまで続くか……と首を傾げていたら、そのまま目的地に到着してしまった。
比較的背の低いビルが両隣に建ち並ぶ、タイル敷きの狭い通り。
スマートフォンの地図アプリで青木さんが場所を確認する横でぽつりと呟いた俺。
「……旧飲み屋街か……」
――旧市街でも特に古い地区に建つ廃ビルたち、その中の一棟――
旧飲み屋街とか、廃ビル通りとか呼ばれているここら一帯が栄えていたのは、西暦一九九一年のバブル崩壊前のことだ。
今ではほぼすべての店舗がシャッターを下ろし、無人となったビル群の壁面には一昔前に書き殴られたであろうセンスのないスプレー落書き。
一度目の人生で公務員だった頃、旧飲み屋街の廃ビルは権利関係がひどく入り組んでいるせいで取り壊しや建て直しが困難と聞いたことがある。
西府中市主導で再開発をしようにも、現在の交通拠点になっている新西府中駅からある程度距離があるせいでまったく採算が見込めず、行政機関すら手を出せないのだ、とも。
「ここかい?」
「……そうみたいね」
「うへぇ。このちょっと開いたシャッターくぐって入るの? こっわ」
それは、古ぼけた地上五階建ての雑居ビルだった。
往時はそのすべてになんらかの店舗が入っていたのだろう。ビルの壁面には店名を掲げるための突出し看板が縦に並んでいる。当然今じゃあそのすべてが真っ白だ。
ビルの出入り口にはシャッターが下りているが――中途半端に一メートル程度開いていた。
それでまずは俺が入ってみるが、「電気が生きてるのか……?」狭いエントランスを照らす黄色い照明に眉をひそめる。
LEDじゃない。昔ながらの色付き蛍光ランプが、コンクリート剥き出しの床を照らしていた。
「あれ? 廃墟じゃないんだ?」
「やぁ~。ほこりだらけになる~」
すぐさま青木さん、野間さんとビルの中に入ってきて、俺たちは一度顔を見合わせた。
「このビルに地下があるから、そこに来てって話」
「時間大丈夫かな。そろそろお願いされてた時間かも」
「犬浦って人の頼みって言ってたっけ。応援が何かは知らないけど、女子二人をこんな場所に呼び出すのはさすがに……」
見れば、薄緑色の養生テープでベタベタに封鎖された小型エレベーターの向こうに階段があって……地下に向かう階段が、深い影を
俺は二人に問う。
「行くのかい?」
二人は一瞬迷ったようだが、友人を裏切れないのか。おずおずと俺にうなずいた。
だから「わかった。行こう」俺が先陣を切って階段を踏んだ。
と同時に、青木さんが歩き出しながら後ろでポツリと言った。
「杵築くんは、『須弥山』って知ってる?」
「……さて、なんのことだか……」
「なんて言えばいいのかな。須弥山ってこの街で喧嘩ばっかしてる不良グループなんだけど、犬浦ってそこの幹部なんだよね。……ほんと良い奴なんだけど」
「喧嘩してる不良が善人はないでしょ」
「それはまあ――それはまあ、そうなんだけどね。女には手を出さないし、仲間の面倒見は良いし、だから……」
「だから応援に来てあげたのかい?」
「今日がなんの応援かは、わたしも美優季もあんまり詳しくは知らないんだけどね」
「二人とも学校の成績は優秀なのに、変なところで馬鹿だろ。申し訳ないけど」
「人付き合いって、頭の良し悪しじゃあどうにもならないことも多いのよ? 知ってた?」
須弥山――西府中市に存在する二大武闘派不良グループの一方だ。
西府中市の覇権を巡って須弥山とゴルゴダなる二つの不良グループが血を血で洗う決闘をしていることは、西府中市の男子学生なら大体知っている。
一度目の人生の俺でさえ須弥山とゴルゴダというグループ名だけは知っていて、高校時代、クラスの男どもが『昨日ゴルゴダと須弥山の幹部がぶつかったんだってよ』とか盛り上がっているのを聞いたことがあった。
「――扉だ」
階段を降りきった場所には、照明もない中に真っ黒な鉄扉だけがある。
俺に続く青木さんたちの顔もまともに見えない暗闇の中、黒く冷たい扉だけが浮かび上がっているように見えた。
「本当に行くんだね? 青木さん」
「……ええ」
そう言われて俺はドアノブを握って扉を押した。
本来は重たい扉なのだろうが、俺にとって重たい扉などそうそうない。呆気なく動き――
――重低音を効かせた速いテンポのダンスミュージック――
――素早く動き回る青いレーザーライトが混ざった紫色の灯り――
クラブ?
そう思ったその瞬間、禿頭の痩せた顔が扉の隙間にニュッと現れた。
俺は驚かなかったが、背後から様子をうかがっていた野間さんが「きゃっ」と小さく悲鳴を上げた。
しかし、禿頭の男も、長身の俺にじっと見下ろされていることに少し驚いたらしい。
「――携帯、カメラ、レコーダー。録画、録音できるもん全部出しな」
驚きの
明らかに善良なる一般人の雰囲気ではない。しかし俺は平然と問うた。
「なんで?」
「それがここのルールだからだよ。守れねぇんなら帰りな」
「この中で何やってんの?」
「はあ? 質問は許可してねえよ。携帯出すか、のこのこ帰るかだ。殺されてぇのかてめぇ」
野間さんと青木さんもこんな奴に大事なスマートフォンを預けたくはないだろう。それで俺は、このまま押し通ってやろうとも一瞬考えるのだが――
「この子たちはうちの客だよ。スマホならあたしが預かるわ」
俺がだいぶ押し開けていたドアの隙間に新たな人物だ。
両耳にたくさんのピアスを付けた、金髪ウルフカットの化粧女。まるでハリウッド映画の魔女役みたく、濃すぎるアイシャドウ、真っ黒な唇だった。
俺が青木さんに「誰?」と言って目配せすると、「犬浦の友達」と返ってきたから、カーゴパンツのポケットからスマートフォンを取り出して、金髪ウルフカットに手渡してやる。
「みゆきち、あおちゃん、今日はごめんね。マジで待ってた」
野間さんと青木さんも金髪ウルフカットに愛用のスマートフォンを渡すことで、俺たちは入場を許可されたらしい。
禿頭の男が「クソ雑魚どもが調子乗りやがって」と舌を鳴らしつつも、一歩身を引いたから。
金髪ウルフカットが俺を見上げて怪訝そうにひそめた。
「この人、誰?」
野間さんが答えた。
「クラスの友達。ここに来る途中でたまたま会ったから」
そして俺が補足する。
「ただの心配性だよ。クラスメイトが危ないことに首を突っ込みそうだったから、勝手に付いてきただけ」
すると金髪ウルフカットは一瞬何かを考えたようだが、「来て」と親指で室内をクイッと指差した。
……いよいよ真相か……。
そう思って一歩室内に踏み入れた瞬間だ。
――煙草の臭い。酒の臭い。女たちの汚い嬌声。男たちの下卑た笑い声。時折の怒号――
今までの人気のなさとは正反対の、あまりに濃密な気配が激突してきた。
人だ。
人。人。人。人。人。人。人。人。人。人。人。人。人。人。人。人。人。人。人。人。人。
どぎつい色に髪を染めた若い男と女たちが、速い音楽の中で踊り回っている。
タトゥーびっしりの腕を持つ不良風の男たち、銀の指輪とチェーンブレスレットを身に付いてた派手な女たちが、壁際に並んだ革ソファの上で浴びるように酒を飲み干している。
薄暗いダンスホールのそこら中で煙草の煙がモクモクと上がり、室内を縦横無尽に走り回るレーザーライトの色を妖しく宿している。
――クラブ――
目の前の光景はまごうことなきクラブだった。それも、だいぶガラの悪い。
「ねえ。こういうところ、わたしと美優季の趣味じゃないんだけど」
青木さんがそう金髪ウルフカットに文句を言いながら歩き出し。
「うわぁ……」
野間さんがちょっと引いたような声を上げてそれに付いていき。
「応援ってまさかダンスバトル?」
苦笑する俺が最後尾だ。
首を回せば地下クラブの様相がだいぶわかり、我が校の体育館ほどの面積はありそうな巨大空間に百人以上が入っているだろう。
あのボロい雑居ビルの地下にこんなものがあるなんて、ただ単に驚きでしかなかった。バブル時代のディスコ文化の置き土産だろうか。
DJブースを前に手を上げ飛び跳ねる人々を避けて壁沿いを歩いていたら。
「おい見ろよ! 制服の女がいんぞ!」
「うぉいっ! マジだぁ! おーい! ねーちゃんたちぃこっち向いてぇ! 顔見せてー!」
「あれ? 今の二人、めっちゃ綺麗じゃね?」
「スカート
「ひゃはは!! 犯してぇー!!」
革ソファに深く沈んでビールの酒瓶をラッパ飲みしていた男たちに大声でからかわれた。
青木さんも野間さんもいきなりの大声に一瞬ビクリとしたようだが、無視して通り抜けようとする。
俺たちが通り抜けたすぐあと。
「おい、ガキども。無視すんじゃねえよ」
金髪男が立ち上がったが――俺が足を止めて振り返ったら「う――っ」と止まった。
俺よりもだいぶ背が低く華奢な金髪男。
「何? 話なら俺が聞くが?」
見下ろしながらそう聞いたら、「……ちっ」わざとらしく舌打ちしてソファにドフッと座り直した。
「……ガラが悪いねえ」
俺は歩き出しながらそう呟くが、内心これから何が起きるのか少しワクワクしている。
この先危機に陥るであろう野間さんと青木さんのことを思えば不謹慎極まりないが――俺の心が勝手に騒ぐのだからしかたがない。
恐怖はなかった。
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